社会参加の実際・改

2016年お引っ越し。つれづれだらだら雑なテーマで書きます。ま、ちょっとライブ感想多め。

「LGBT」について思う事。

このテーマについては、個人的にずっと前から意識してずっと考えていて。ただ、自分なりの落としどころまで至らないので、なかなか書けないでいた。
いま時点でも全然落としどころは見つからないのだけど、、、ただ、いま時点で考えているところだけでも、メモしておこうと考えた次第です。

今回、このテーマで何か書こうかな、と思ったきっかけは、東京五輪男子シンクロで金メダルを獲得(個人種目では銅メダルも獲得)したイギリスの高飛び込み選手、Thomas(Tom) Daleyさんの動画チャンネルを見たことから。
自分が YouTubeの Tom Daleyチャンネルの存在に気付いたのは、五輪開幕の少し前、オリンピック選手村の紹介動画をあれこれ漁っていて、彼の動画がすごく面白かったというところ。イケメンでユーモアたっぷりで、フレンドリーなキャラクター。わたしの残念な英語力でも、彼のイギリス英語は聞き取りやすくて楽しい。
それが、、金メダルクラスのアスリートだったと知ってビックリ!(というか、単なる勉強不足だったんだけど、彼は北京五輪への最年少出場から、4大会連続五輪出場という大ベテランの有名選手だったのです💦無知ってこわい💦💦)

さて、話を戻すために、東京五輪に関する動画を1つ。
直接貼り付けはできなそうなんで、リンクを貼っておきます。(NHKさんのニュース動画で、、ある程度日にちが経過したら消えるかもしれません。悪しからず)

→「【NHK】金メダリストから性的マイノリティーへのメッセージ | シンクロ高飛び込み | 東京オリンピック
この動画では、オリンピックチャンピオンになったデイリー氏が、自身がゲイであることを明言し、LGBTの人々に向けて励ましたい、というようなメッセージを発信している。
動画の中でも触れられているが、彼自身、同性のパートナーと結婚して子供ももち、育てているという。

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さて、デイリー氏は明言しているゲイとは、男性性を自認する人が、同じく男性性を自認する人を恋愛対象とする、というホモ・セクシュアル(同性愛指向)のこと。LGBTの「G」にあたる方です。
ま、この辺りはあまりにも基本過ぎて今更書くことでもないので、以下、法務省の情報ページへのリンクをはっときます。

→「多様な性について考えよう! ~性的嗜好と性自認~」(法務省人権擁護局)

ここから私の感想なんだけど、、いま、自分的には「LGBT」でちょん切る表現には、微妙に違和感があります。せめて「LGBTQ」または「LGBT+」「LGBTQ+」と表現したい。(不勉強で、「Q」「+」「Q+」の明確な定義の違いはよく分かっていませんが💦)
LGBT」の定義を確認すると、その概念の前提として、「男性」と「女性」とがくっきり区別されているんです。ですが、、そもそもジェンダーの区別の根拠って何なの?という話です。
(まぁ、リンクを貼った法務省の記事なんかでも、「LGBT」以外に「その他」があると、いちおう触れられてはいます。まったく知識のない方や抵抗のある読者にとっては…ギリギリの表現なのだとは推察します。)

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トランスジェンダー” という言葉について思う事

LGBT」の定義でいう「T」=トランスジェンダーって、法務省のページに書かれている概要のように、「その他」を含む多義の要素を示したい言葉なのでしょうが、、
多くの方が認識されている「T」は、MtF(社会から男性性とされていたが、自認する性は女性) または FtM(社会から女性性とされていたが、自認する性が男性)で、そこに当てはまらない方々もいる、という認識がピンとこないのではないかな、、と想像しています。

たとえば日本の法律では、戸籍上の性を変更することができますが、それはあくまでも、「女性」「男性」をくっきり区別する、どちらかに属さなければならない、というのが前提なんですよね。
ですので、性別を変更するために、当事者は性転換手術を受けなければならないのが条件です。…すごく乱暴な話ではないですか?

 

ならジェンダーの区別って何だろう?

自分自身は、「男性」と「女性」の区別は性染色体の差である、とは理解しています。染色体の別で、「男性」または「女性」として生まれてきた人が、やがて成長して、生殖できる身体として異性のパートナーと子孫をつくる。、、まぁ、異性生殖をおこなう生物としては、そういう生き方がベーシックであることは否定できないでしょう。

で自分自身、生まれつきの性別と性自認に矛盾はなくヘテロセクシャルなので、そういう面ではマジョリティとしていろいろなことを自然に受け入れられる立場です。
ところで、たとえば女性用トイレとか更衣室、浴室に、もし男性の身体を持つ人が入ってきたらものすごく戸惑うと思う。自身の身体を見られるのは厭だな、と感じる。ほんとうに正直言うと、子供でも、ある程度年齢のいった男の子が女湯に入ってくるのはちょっと嫌です。

でもまぁ、、確かに、見た目が女性の身体になっている MtFの方なら、ぜんぜん違和感ないですね。
ただ、、それでいいのかな?という感じはします。彼女たちにすべての負担を強要して、それが本当の解決策なんでしょうか?…自分なりにどうすればよりベターなのか、全くわからず、、こういう問題に触れるのが難しい、と感じているところです。

そして、危険を承知であえて言うならば、たとえば今回のオリンピックで。トランスジェンダーの方が、男女別の競技に出場されて話題になった件、あの件には、つよい違和感を感じます。やっぱり染色体・XYの方が女性競技に出場ってどうなのかなあ?と感じてしまう。この件に関しては、たとえ性転換手術をされ戸籍上女性となった方であっても…違和感を感じます。(これについては、単に私の科学的知識が足らないだけかもしれません)

あとね。いちばん考えるのは、、そもそも「男性」「女性」の認識事態に違和感をおぼえる方々について、です。
ジェンダーの区別を認識したくない人々にとっては、どういう扱いもストレスや苦痛につながるだろうし、性転換手術、みたいな具体的な方法があるわけでもない。
そういうことを鑑みると、、同性婚を認めたり戸籍性を変更できるようにすれば解決って話では、全然ないでしょう。

どうしてこの問題に、こんなに関心があるのか

先に自分は、染色体によって男性と女性の別が決定する、という今現在の自分の考え方について書きました。
ですが、この方向性は、、、突き詰めると、
人とは染色体によって男性または女性となり、やがて成長して子孫を残すことが正解
のような考え方になると思います。わたしも、女性として生まれたのだから、いつか大人になったら結婚して子供を産む、という将来を信じて微塵も疑ってなかった。

だが自分は子供を持てなかった。病気のため子宮も卵巣も摘出しました。ヘテロで異性と結婚している自分も、出産経験がないことは女性として完璧な生き方ではないのでは?と感じられるんですよ。自分は、社会において「女性」としての価値とか、特にないよね、っていう、、、?
冒頭に紹介したイギリスのデイリー氏は、結婚して子供も持っている。「G」ではあっても、社会に認められた健全な人ではないですか。
いっぽうの自分は、子供を持てなかった。生まれは女性でしたが、今は健全な女性ではないっていう思いが…どこかにあります。心情としては、いろいろな事情で子供を持てない、持てなかった人々のグループで、たとえば性転換手術をしても妊娠できない MtFの女性、みたいな方への共感が高いんですよね。(あくまでも一方的な共感です。彼らにしてみたら、こっちくんな、って話かもです涙)
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とりとめのない話を書きましたが、この問題はすごく難しいと思っている。
もしかしたら、社会が大きく変わって、自分の意識も変わるかも?そういう、かすかな期待も抱きつつ、、、
今後も、ずっと、当事者という意識で、こういう概念について考え続けると思います。

そしてわたしは、「LGBT」ではなく、「LGBTQ」または「LGBTQ+」って言うのがいいかな、と思っています。

 

おわり。