社会参加の実際・改

2016年お引っ越し。つれづれだらだら雑なテーマで書きます。ま、ちょっとライブ感想多め。

2023.12.09 : 舞台『ある都市の死』@草月ホール を観た。

楽しみにしていた舞台『ある都市の死』を見てきた。
*感想文はネタバレになります。

作品の概要については、公式サイト、Introduction欄に記載の冒頭の分を引用させてもらおう。

「今回の作品は、映画『戦場のピアニスト』の主人公として知られ、戦禍を生き抜いたポーランドのピアニストであるウワディスワフ・シュピルマンと彼の息子であるクリストファー、そして彼を救ったドイツ軍将校ホーゼンフェルトの物語です。」

映画『戦場のピアニスト』は、日本では2003年に公開された。第二次世界大戦でドイツの侵攻を受けたポーランドユダヤ人ピアニスト、シュピルマンの手記を原作とした物語。
そして舞台「ある都市の死」。このタイトルは、刊行後すぐ絶版となったというシュピルマンの手記の原題からきているらしい。現在原作本として読め、会場でも発売されている「戦場のピアニスト(ザ・ピアニスト)」は、復刊版だ。
舞台の出演者はピアニスト小曽根 真さん、およびダンスパフォーマンスユニット s**tkingzメンバーである持田将史さん、小栗基裕さんの3名のみ。
自分といえば、むかし観た映画の記憶もかなり妖しくなり、ただとてもインパクトのある衝撃的な映像だった!という視覚的な記憶ばかり。
ピアニストとダンサー(俳優でもある)とで、いったいどのような舞台が展開されるんだろう?興味津々だった。
映画版を見直すとか、あまり事前に情報を入れず、フラットな気持ちで観たいと思って、、全くの手ぶら状態で会場に向かった。

さて当日。
観客には、やや中高年層が目立つ印象。恐らく、『戦場のピアニスト』を映画で見ていたであろう年代の方々だ(自分自身も例にもれず)。
もっとも…自分は普段あまり舞台とか観ない方なので、普通と違うのかそうでもないのか、その辺りは分かっていない。
客席はぎっしり。自分の席は1階中ほどだったが、恐らく階上席も同様にぎっしりだったろう。
なんだろう、開演前から客席の空気は、既に熱を帯びているように感じられた。

          ***

舞台に幕は降ろされていなかったので、開演前からセットの様子は伺えた。
あまり事前情報をインプットしないように心がけてたけど、どうしてもスナップ写真などは流れてくるので、だいたいの雰囲気は薄目で見ていたとおり。ただ予想以上に大道具・小道具がぎっしりと配置されたセット。
あー、このセットは、舞台転換はなくて、すべての物語がこの場所で描かれるんだなー、と知る。

冒頭はピアニストの小曽根さんが登場。家庭用サイズの小ぶりなグランドピアノの鍵盤のフタをあけ、独奏をはじめる。
映画版あまり覚えてないので、サントラなのか、この舞台のオリジナル曲なのか分からないけど、(私は)知らない曲。
クラシカルではあるが、Jazzyなフレーズがふんだんに入ってくるので、やはりオリジナル曲かな?

1曲演奏して、照明スポットが移動。次に登場するのは、おぐりん。
ピアノはさきほどのソロ演奏から、BGM的な雰囲気に替わる。
おぐりんは、ダンスではなく、モノローグで芝居をはじめる。彼は、"戦場のピアニスト" シュピルマンの長男息子、という役どころ。
(開演前にチラ見したパンフレットに掲載されていたが、長男のクリストファー・スピルマン氏はこの舞台にも協力されたそう)

ピアニストの父親に違和感を感じていた息子(おぐりん)は、ある日、屋根裏で父の手記を見つける。
やがて、舞台に Shojiさんが登場し、若き日のシュピルマンとして、芝居とダンスで手記のストーリーを紡ぎ始める…。

             ***

そののちは、シュピルマン=Shojiさんが基軸としてストーリーを進行していくのだが、
途中、おぐりんが都度、様々なサブキャラクターに扮して登壇し、分かりやすく物語が展開していく。
シッキンおふたりとも俳優としても活躍されているからか、完全なダンスシーンは思ったより少な目。
ただ、その分、ダンスで表現されるシーンの説得力が際立って感じられる。
二人で踊りながら、次々と位置と役割を入れ替え、複雑に絡む感情を表現するダンスなどは、、まさにシッキンならではの唯一無二の表現力!
それぞれのソロ・ダンスも見ごたえあるものだった。

映画版で恐らくいちばん有名な、ドイツ軍将校に見つかってピアノを弾くあのシーン。
舞台上でピアノを演奏するのはもちろん小曽根さんなのだが、なんと。
Shojiさんは、全身をいっぱいに使ったソロ・ダンスで、この ”敵軍将校の目前でピアノを弾く” を表現してみせた。
当然知っている場面なのに、あまりの美しさに、、得も言われぬ感動が沸き上がって、涙があふれた。

ちなみに映画版ではショパンのバラード1番が演奏されたのだが、舞台のこのシーンでは、あのノクターン嬰ハ短調が演奏された。
日本版の映画ティーザーでは、なんといってもこの遺作ノクターンの方が映画のイメージそのものだったので、この曲が選ばれたのだろうな。実際のところはどうだったのか。原作読めばわかるのかな(←実は未読。これから読みます)。

とにかく、Shojiさんとおぐりんの語り(踊り)で、小さな舞台に再現される大きなストーリーにすっかり引き込まれ
、、実は、個人的に期待していた小曽根さんの演奏を、ほとんどまともに聴いてなかったことに気付いた。
いや、小曽根さんのピアノはしっかり流れていて、物語世界を構築する大切な要素で、
気付けなかったことこそが多分とても凄いことだったんだ、、とは思う。

ともあれ、そのことに気付いたのは舞台の終盤
あの遺作ノクターンが、もういちど、小曽根さんの手でしっかり演奏される場面であった。
ランダムに並べられた複数の椅子の間を、前のシーンとは全く異なる振りで、Shojiさんのソロ・ダンス。
それは、あたかも彼(主人公シュピルマン)が過ごしてきた苦難の時間を、そして苦しみや悲しみの中にも確かに存在した、彼の生を取り巻いてきた人々との触れ合い、愛情を
たどりなおすかのようなダンスに見えた。
(椅子の配置については、どこかにネタバレ情報があるらしいです。後で探しに行ってみる)

             ***

映画版では、さらりと描かれていた戦場のピアニストシュピルマンのその後。
息子の視点、という演出を通して、映画版の少し先の出来事まで描かれていたのが、とても感慨深く。
1時間45分という上演時間が、あっという間に、しかしながら圧倒的な重厚さで仕事をしてくれました。

いやあ、、いいものをみました。

             ***

映画版「戦場のピアニスト」が公開された当時、自分自身にとって ”戦争”とは
もはや絶滅しかけている歴史上の概念、、くらいに日常から遠い出来事だった。

だが、西暦 2023年現在、この映画で描かれたような戦争が、世界のいくつかの地域で今も続いている。ほんの少し前までは、自身の日常と関係ないものだとしか思っていなかった戦争が、日常を壊していく。現実に起きていることだ。

このストーリーを、もはや、日常から遠い出来事 と感じることができない。
だからといって今すぐに出来ることは何もない。
ただ、人は歴史を学び、学習することができるはずだ。人の理性を信じたい。
そう祈らずにはおられない。

 

 

終わります。