社会参加の実際・改

2016年お引っ越し。つれづれだらだら雑なテーマで書きます。ま、ちょっとライブ感想多め。

米津玄師『STRAY SHEEP』めっちゃ聴いてます。

8/05 にリリースされた、米津玄師『STRAY SHEEP』。
すぐにサブスク公開されたので、めっちゃ聴いてます。板を買う予定はなかったのだけど、、多分…板も買っちゃうなこれは。 

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 出されるやいなやバカ売れしてるアルバムなので、いろんな方が色んな風に褒めたたえてると思う。敢えてわたしが言うべきこともないだろうから、あんまり沢山は書かないようにする。

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ここでは、おもに2つのことを言いたい。たいして独創的ではないけれども。

・自分がこのアルバムをめっちゃ聴いてるという事実

・米津氏のセルフカバーの思想

 

自分がこのアルバムをめっちゃ聴いているという事実

そもそも自分がこのアルバムをめっちゃ聴いてるという事実に、自分自身がすごく驚いている。

もともと、、ポップでキャッチーな音楽はそんなに好みという訳ではなくて。
というか、いわゆる ”ポップでキャッチーで日本でバカ売れする類の音楽” 的なのが、別に売れるから反発している、とかではなくて、単に
(嫌いとかではないけど耳にひっかからない
(何度もリピートして聴く気になれない
(ひと組のアーティストの作る曲は大体同じような曲に聴こえるから
などなどの理由から、
すごいヒット曲 を単体でDLして聴いたりはしても
アルバムを通しで聴く てことをあんまりしないのだ。

いや、、「あんまりしないのであった」と過去形で言うのが正しいかも。

最近、日本のチャートでトップに居続けるようなポップな曲をつくるアーティストの音楽を、、アルバム通しでずっとリピートする という機会が多くなった。

ちょっと前に書いた King Gnuもそうだけど、とにかく最近、世間ですごい売れてるアーティストを自分もいいなと思う という
今までになかった現象が増えてきていて、、なんか面白い。

で、米津という人は、自分がそういうことを考え始めるきっかけになったアーティストであります。
とてもポップでキャッチーな、誰にでも受け入れられる表情なのに、深く掘り下げても…やっぱりいい。
ひねくれ者の自分は、たとえ好きなタイプのアーティストの作品といえども、どこかツッコミどころがないかと粗探しするのが趣味っていう困った性分があるのだけれども、、米津の音楽には(うわあ)と感心するところはあっても、突っ込む箇所がどこにもなくて、掘り下げれば掘り下げるほどむしろ楽しい。

彼の音楽はいろんな試みや冒険、情報に溢れていて、まぁそこまではあらゆる数多のアーティストが体現しようとしてきたことと変わらないのだけれども、その作品が、単なるマニアックな探求の世界にとどまらず、万人にシンプルに響くカタチに収束しているのがすごいな、と感じるのである。

あと穿った見方をすれば、、彼の音楽には(これやれば売れるだろ)みたいな商業的なあざとさがないも、、個人的には好感が持てる。職業的な音楽家としては、流行りそう(流行らせたい)、売れそう(売りたい)という要素を考慮して作品を出すことはプロとして当然のことで、いやむしろそうであるべきなのだけれど、
米津って、そういうのではなくて、ただ彼が追求するゴールがそういう形になっている、と感じられるところが凄いんじゃないかなー、などと思ったりする。
※売れそうな音楽を目指すアーティストや音楽家の方を否定したいのではありません。それはそれとして、多分そういう系の要素をお持ちでも好きな人いっぱいいるしね♪

いや、あんまりアルバムの話に行けなかったけれども、、つまりそんなわけで。
みんなが好きな音楽を自分も好き という現象は、、自分にとってはなかなかに珍しい感触なわけです。

しかも、このアルバム、米津の最近のヒット曲ぜんぶ入ってるじゃないすか!
そしてアルバムからの新曲も全部いい!全部いいよ!!

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米津氏のセルフカバーの思想

アルバム全部通しで何度もめっちゃリピ聴き…という話から繋がってもいて、今回の『STRAY SHEEP』これは不要って曲がひとつもなく、全曲いい!んだけれども、ここでは。米津のセルフカバー曲について書いておきたい。

もちろんアルバム的には初聴きの「まちがいさがし」の話をしたいんだけれども、MVがないので、とりあえず公開されてる『パプリカ』MVを貼ってみて。 

このMV最初にみて、イントロの落ち着いた感じもさながら
まがり くねり はしゃいだみち~(⤵)
て、いきなり主旋律のメロディがマイナーコードでさがるところね。
たぶん1億人くらいおなじこと考えたろうけどわたしも思った。

(あ、メロディ違うじゃん)

この曲は、オーディションで選ばれた子供たちのユニット Foorin に提供されたのがオリジナル Versionで、本人版のこちらはセルフカバー。
歌詞や曲こそ同じものだけど、歌う人が異なるので、まったく異なる味付けで、、
当然と言えば当然なんだけど、こちらは米津の曲!になっている。

わかりきったことを何故わざわざ言うかというと、、そもそもこういう経験が少なからず、ある。
具体的な名前の掲載を控えるが、、あるアーティストが自身の作った曲を他アーティストに提供する。幸いその曲がけっこうヒットして、提供したアーティストの代表曲になる。ところで曲を作ったアーティストは、自身の曲だからとセルフカバーしてライブでもいつも歌って、自身の代表曲としている。
まぁ、、特殊な契約でもしてない限り、曲を作ったアーティストが自分の曲をセルフカバーして好んで歌うのは、ぜんぜん正しいことなんです。
ただ、、なんというかその、では他のアーティストに提供した「提供」ってのは、いったいどういう意味なんだろう?と、感じてしまったりする。

べつに、、もちろんそう言ってるわけじゃないけど、(この曲はねー俺が作りましたー 他の人が歌ってヒットしてるけどー 俺が作りましたー)ってセリフが聴こえるような気分になるときがある…
いけないことしてるわけじゃないのに、モヤっとする。

ですが。
米津さんのセルフカバーには、そういう”モヤっと”感がないんすよね。
このアルバムの「まちがいさがし」セルフカバーを聴いたときに、「パプリカ」で感じたスッキリさと同種の気持ちよさを感じました。
それは何なんだろう?って気持ちを掘り下げたときに、
ああ、米津氏のなかでは、誰かに曲を提供するときには単に曲を作るだけでなく、「そのアーティストの曲になる」っていうことが、とても明瞭に定義づけられているのかもしれないな、と思った。

なので、米津が歌う「まちがいさがし」は米津の曲であって、菅田将暉の「まちがいさがし」とは全然違う曲である、ということが
もうイントロの最初の1音からクリアに伝わってきてるのかもしれない。

それが、、セルフカバーにときにありがちなモヤモヤを一切含まない、気持ちよい刺激で聴ける感じなのかもなぁ、、と。

 

米津さんの魅力を語るのに、ぜんぜん言葉が足りないし語彙も足りないけれど、
とりいそぎ、、つよく印象に残った…だけ2つ
書いてみました。

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おまけ。
ちなみにこのアルバムでわたしの気に入ってる曲トップ3は、
「迷える羊」
「優しい人」
「海の幽霊」

です(…どうせ毎回通しで全部リピするので、いらない情報)。

 

 

さいごに。
今、アートブックつき特典付き Blu-ray版をぽちってきました。


おしまい。