社会参加の実際・改

2016年お引っ越し。つれづれだらだら雑なテーマで書きます。ま、ちょっとライブ感想多め。

ルールとかマナーとか

少し前に、Twiter(のわたしのTL)では「ルール」とか「マナー」とかいう話題が盛り上がったことがある。
きっかけは、三浦大知さんツアー開幕にあたり、ツアー関連のネタバレ可否、、といったことだったと記憶。

ピクチケとかセトリとか、たしかそういう類の情報(細かいことを忘れた)を絶対に言わないでください! とはっきりした言葉で(お願い)するツイートがまわってきて、わたしも拡散したような気がする。
それはそれで、1つの考え方だと思うからわたしも拡散したんだけれど、そしたらそれに対して「見たくないなら見なけりゃいいだけのこと」とか、なんなら「ネットやめれば」という意見も(かなり大ざっぱりに書いていますが、さまざまなレベルでさまざまな意見が出ていました)。

まぁネタバレに関しては、、そもそもTwitterで色々な情報を呟く人は、基本的に(言いたいことは全部呟きたい人)だと思うから、見る側が、自分の知りたい事だけ教えて!知らない事は隠して!って願うのは…まあちょっと自分本位な願いかもしれません。
どうしても知りたくないならば、(いつも情報を提供してくれる人は基本的におしゃべり)っていう前提でそういうアカウントをミュートして自己防衛するのがいいんじゃないかな…と思います。

とまぁここまでは、わたしもTwitterで書いたことなんだけれども。

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なんだかそういうきっかけの議論(?)が更に進んで、なんというか、、、ライブ中のマナーの話にまで及んでいたのが興味深かったんですよね。

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たとえば三浦さんのワンマンライブでは、ライブを見ながら大声で歌ったりすると嫌がられることが多いようです。わたしは一緒に唄うのが好きだけど、そういう意見をみかけてからはなるべく声がでないよう気をつけて歌ってるのですが(がまんできなくてごめんね)、他のアーティストのライブでは、皆が一緒に大声で唄う雰囲気のことも多いので、これはローカルマナーかな、と思うわけです。

また、最近は少なくなりましたが、三浦さんがスタンディング形式のライブを行う場合、観客は整理番号順に見やすい場所に入り、(たとえ最前付近であっても)その場所から余り動かないで観覧するひとが多いですが、他のアーティストのライブでは、整理番号は入場の目安にすぎず、最前は皆が詰めよって楽しく暴れまわるエリア、ぎゅうぎゅう詰めが嫌なひとは少しさがって見れば良い、という雰囲気が多いと思います。
多くのアーティストが出演するフェスなどで、単純な場所とり感覚で最前付近に行って…後ろから押されてムッとしている、などという態度が「地蔵」などと呼ばれ敬遠される所以です。
皆が譲り合って大人しく整列するような場所なら、無理に割り込もうとする人が異邦人だし、ロック系など、押し合いに馴れている観客は押されて厭ならさがればいい、って考える人が多いところなら、頑固に居座る人が異邦人。どちらの考えが正しいかを、ざっくり決めることはできません。

つまり「マナー」とは、その場限定で周りの空気をよんで行動する気配りなのであって、(これが正解)という定義は難しいものです。
それが過剰になると、「~してはいけない」という意見になって、身動きとれなくなりますよね…。

周りに迷惑と感じさせず、そもそものルールを守っていれば、自由に楽しめばいいのてすが…周りがなにを迷惑と感じるのかを見極めるのが難しい。

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そしてルールです。

ルールというのは、主催者や会場、アーティスト側より「~してください」「~しないでください」と明言されているきまりごと。つきつめて言えば法律的拘束力のない内容もあります(もちろん法的根拠のあるものも有る)が、わさわざ明言されているお願いは、遵守したいものです。これは周囲の迷惑とかを考える以前の話。

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この話を蒸し返したのは、日曜日にたまたま目にした(直接は見ていないですが)出来事と、それに対してのネット界隈のさまざまな反応をみたことでした。

日曜日の出来事とは、わたしも行った s**tkngzの舞台でのことです。その日は東京公演の千秋楽。終演後、観客の拍手は鳴りやまず何度もカーテンコールが行われたのですが…その最中に、公演を見に来ていた三浦大知さんが退場しようとしている所を引き留め、握手を求めた人がいた。というのが話題になっていました。

そのことを話題にした方と、それを行った方とは SNSで繋がりがあったので、その後は会話してお互いの気持ちは話し合えたようですが…。
驚いたのは、その出来事に対しての「なにが問題なのか理解できない」という意見が、ネット界隈にかなりたくさん見られたこと。
大好きな有名人を見かけたら、「ファンですいつも応援してます」という気持ちを伝えたり、可能なら握手をしてもらったり。誰でもしていることなのに、なぜダメだと非難されるの?
そんな意見が多かったようです。

もちろん大好きなアーティストを見かけて、(勇気があれば)わたしだって声をかけたいし、実際シッキンさんとかは声をかけ握手してもらったこともある。ただ…そういうことは、場所をわきまえなくてはいけない、ということです。
そこは、シッキンというアーティストがパフォーマンスを行った劇場であり、まだ舞台は完全には終わっていなかった。どうしても三浦さんと握手したかったそのかたは、劇場内ではなく、外に出てから声をかけるべきでした。

その瞬間、そのかた自身は個人的に満足を得られたかもしれませんが。想像してみてください。
友人の舞台を見に来た三浦さんが、その会場の雰囲気をこわさぬようそっと振舞っていたつもりなのに、結果的に自分のファンの行動が騒ぎを起こすことになった。その場に居る、というだけで話題になった。
そのとき三浦さんがどのような気持ちになったと思いますか?(こんなことになるならもう気楽に友人の舞台を訪れたり出来ない…)と考えたかもしれません…。

 

まあ、ある程度の社会経験のあるひとは「常識だろう」と憤っていたことでしょうが、若いかたなど、本当になぜ皆が怒っていたのか理解できていないのかも…と思い、この文を書いてみました。
マナーというのは、結局は想像力の問題です。人前での自分の言動や行動が、周囲に与える影響を…まず想像してみたら、失敗も防げるかしれません。

こういうことがあって、人に怒られた経験を得たかたが、開き直ることなく、上手なコミュニケーションについて考え、素敵な大人に成長してくれることを願っています。

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この記事で本当に言いたかったことは、さきほどのブロックではありません。
実は、マナーというものを余り自覚されていない(恐らくは)若いかたよりも、むしろ、「自分はマナーを心得ている」と自覚されている、比較的大人の方々にも、気を付けましょうね、と言いたいのです。

マナーとは想像力、と述べましたが、
マナーを心得ていないもうひとつの前提が「自分の考えが正しいと思い込んでいること」だから、です。

最初の方で述べたように、マナーとは絶対の正解があるわけでなく、その場限定のローカルな振舞いになることが多い。
ですがある程度人生経験を重ねた人は、かえって、自分の考え゛だけ゛が正しい、という思考に陥りがちで…そこで違う考え方のひとと対立してしまうわけですね。
なので、ネットでこの手の議論が起きるたびに、、(なんで悪いの?)と自分の都合のみ主張する人々以上に、(悪いに決まってる)と自分の正義を主張する人々の頑なさの方を、むしろ心配してしまうのです。

 

けれどマナーって、意見の合う人々が徒党を組んで争うってことではない。
多くの人が不快でないための気配り、譲り合いの精神ですよね?

 

ある程度人生経験を積んだら自分の価値観のみを信じる…というのでなく、新しい世界に入ったら新しいルールやマナーもある。ということを心得たい。

幾つになっても、新しい世界で新しい刺激を受ける体験は素敵なことです。好奇心を忘れずに、ときどきは周りの人々も見ながら、時間と空間を楽しく共有できる人になりたいですね♪